応援の言葉 11. 2. 9更新

社会公共の利益増進のために努めている人々への 励ましの言葉 や
寄付をなさった方々の 理由、動機、きっかけ などを紹介するページです
                     

目次 チャリティの催し
寄付を通じての私の願い

   ○ ご投稿、ご感想をお待ちします。

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「編集者から」へ

   ○ チャリティの催し

 大学時代の友人が、チャリティの催しを開きました。
 彼は、大学で落語研究会に入り、卒業後は銀行員としての勤務の傍ら落語を演じ続け、何度も独演会を開き、いまは邦楽と日本舞踊に関わる出版社の社長をしている異色の人材です。
 今回の催しは、@同社による「踊りの心」シリーズ全6巻の完成と、A本人の落語芸歴50年を記念し、個人で開いたものです。企画から舞台構成まで想を練り、さらに会場取り、出演者への依頼交渉、人集めを含めて一切のお膳立てを整えるには、多くの苦労があったろうと想像できます。その意欲と行動力に頭が下がります。
 催しの動機、当日の様子、主催者としての感想を同社刊行の雑誌のコラムから、本人の了解を得て転載します。
玉手箱の会、記念チャリティに、たくさんの「感謝」

「邦楽と舞踊」平成19年1月号掲載
 ジングルベルが聞えだして年の勢も押し詰まった12月28日、私は個人で奇妙と言われそうな会を開いた(於・イイノホール)。題して「玉手箱の会」で、ここでは「天地会」的なものを意識して、後見・かつら師・衣装屋・それに演奏家など、普段踊りの会では助っ人役の人たちに踊りを披露してもらったり、山台にズブの素人に上がってもらったりした。この会はまた、「知的障害者支援」や「骨髄移植登録促進運動」のためのチャリティ公演でもあった。会半ばには、スペシャルオリンピックスの細川佳代子前理事長にご挨拶を頂戴した。出演した人たち、手伝ってくれた人たち、この日来場してくれた人たち、来られなくても後からご厚志を頂戴した人たちの支援を受けて、幸いにも、目標を上回って大台に乗る貴い拠金が集まった。当日ハネて帰りがけにまた募金箱へいれてくれた方もいたという。リップサービスでも、観た方が口々にいい会だったと言ってくれた。昨日も会社に観た方から電話が入った。北東北地方の一読者からで、日帰りの積もりで面白そうな会だと思って来たという。結局切符をキャンセルして、その日は東京泊まりになったというのである。散財をしたというのに、受話器の向こうからは嬉しくてしょうがないと察する声が響いた。
 出演者には負担を掛けないようにと、実費の「着被り代」だけとしたから、私の懐から出た金をそのまま寄付したほうがはるかに効果的ではある。しかし、そうだとこの運動は私だけの事柄になる。この運動をひとりでも多くの人に理解してもらうのが主旨だから、やはりこれで良かったと思っている。一回で止めるつもりはないが、今度はいつできるか。さあ、それまでいっぱい働かねばなるまい。
中野 義徳氏(邦楽と舞踊出版社社長)

芸名 
三代目 恋世家 乙女
中野義徳氏は、2011年1月26日に逝去されました。お悔やみ申しあげます。

   ○ 寄付を通じての私の願い

ちょっぴり、寄付できる幸せ

関心の持続や趣味が機縁に
  初めに簡単な自己紹介をしますと、私は、来月の誕生日で満72歳を迎える申年の男です。医師免許はもっているものの、「白衣を着ない医者」を貫き、長年、民間保険会社に勤務のあと、ご縁があって厚生労働省の社会保険審査会・委員という役所の仕事もさせてもらいました。
  もちろん、厚生年金保険の被保険者でしたが、若い頃は、定年後に老齢年金の受給者になるなどとは特段、意識しないまま、社会保険料が天引きされるのはサラリーマンの宿命くらいに思っておりました。
  しかし、そのおかげで、完全リタイアした今では、公的年金を中心に、僅かな企業年金、個人年金も加え、贅沢をしなければ経済的にほとんど不安のない悠々自適の年金生活者です。
 例年、所得税の確定申告の時期になると、1年間に保存しておいた寄付の受領証を整理して、税控除の計算をするのが習慣になっています。
 「日本心臓財団」、「日本ユニセフ協会」、「国境なき医師団日本」、「日本野鳥の会・特別会員」などが、その主なものです。
  日本人の循環器疾患には並々ならぬ関心を持ち続け、現役時代には、ささやかながら一緒に予防活動に参画したこと、医師の資格を持ちながら小心で勇気に欠けるため、戦災児童や内戦による難民現場に携われなかった罪滅ぼしのような気持ちが多少あったこと、個人的な趣味だった野鳥観察から自然保護にも目を向けるようになったこと、などが、これらの寄付行為に参加させてもらう機縁になりました。 ほんのちょっぴりでしかありませんが、寄付ができる幸せを、毎年一回だけ噛み締めております。長寿社会のなかで、まだ当分は続くと自己診断している私流のお付き合いだと思っております。  (2004年10月 5日)
T.H.生 (千葉県浦安市在住)
複十字シール運動に協力する私

むかし結核で若い命をなくした身内がかわいそう
  私は、毎年、複十字シール運動に参加しています。何々募金という募金はいろいろありますが、結核予防の場合には、「運動」という言葉を使っているので、気に入っています。お金をただ寄付するだけでなく、結核をなくすための運動の輪に、私も加わっているという思いがするからです。
  私には、むかし結核で命を落とした身内がいます。戦前のことで、今のように良い薬もなく、ただ病床で寝ているだけでした。まだ若い命を結核のためになくしたのです。振り返るとかわいそうでなりません。それにひきかえ私は、いろいろと苦労はありましたが、こうして元気でいます。私は幸せだと思うと、亡くなった人に申し訳けない気がすることがあります。
 結核で亡くなる人は、むかしは大勢いて、「亡国病」といわれましたが、医学の進歩と国を挙げての対策があって、死亡する人数がずいぶん減り、状態が改善したのは本当に良かったです。ただ、今でも、お年寄りには患者さんが多くいると聞きますし、新しい発病もあるようです。そして目を海外に向けると、アジアの国々のなかには、結核でたくさんの将来ある若者が苦しみ、命を奪われ、社会の発展が妨げられている国もあるようです。
  結核をこの世の中からなくしたい。そのために私ができることは限られています。せめて複十字シール運動に参加することで、お役に立ちたいと思います。
  複十字のシールには、安野光雅さんの描いた絵がのっています。あの絵のように、楽しい世界が世界中で実現するといいな、と思います。それが私の願いです。
  (2004年 3月)
匿名希望 (東京都文京区の一主婦)

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