読者の感想のお便り    最新 18.3.5(裁断橋につき青木廣策氏)


寄付の物語 目次  へ 

  ○ 「寄付の物語」に感想のお便りが寄せられました。

江戸の種痘所 「種痘の日本への伝来と普及」は、私のかねてからの関心事項です。その私にとって、幕末の江戸での種痘普及に大きな役割を果たした「江戸の種痘所」の設立事情やこれを推進した医師たちの努力が記述されているのは嬉しいことですし、またこの事業を支援した人物の一人、濱口梧陵の事績はもっと広く知ってほしい事柄でした。
豪農濱口家代々の伝統であったかも知れませんが、公共・公益への関心と実践は、幕末期に活躍した多くの名士と親交を重ねる中で培われてきたものでしょう。佐倉藩(千葉)の藩医の三宅艮齋との親交が「江戸の種痘所」の再建を支えたことは、ひいて日本の医学発展の礎を築いたことになり、大きな意義をもつ事績です。
ところで、記事内容について一点気がついたことがあります。それは、種痘所設立当初の拠金者の人数です。記事中に「82人の蘭方医たち」とありますが、文献によっては83名説もあります。この点については、深瀬泰旦氏の研究があり、同氏は基礎の文献を精査したうえで83名説を採っていて、極めて説得力のある主張だと考えます。
  深瀬泰旦 「伊東玄朴とお玉ケ池種痘所」 (出門堂、2012年12月刊)
伊藤 卓雄 氏
 (埼玉県所沢市)
2016.3.20
江戸の種痘所の再建に協力した豪商のことは、「稲むらの火」の主人公という記憶しかありませんでした。記事を読み先人の献身的な努力に敬服しています。  塚本  宏 氏
 (東京都江東区)
2016.2.27
歴史の1こまに触れることができました。過去にテレビドラマでこの物語を見た記憶があり、そのなかで我が国伝統の漢方医学と蘭方医学とのせめぎ合いが取り上げられていたように、かすかに覚えています。 岡田 庸利 氏
 (東京都八王子市)
2016.2.24
種痘所から東大医学部への発展の歩みの裏には、こんな篤志家の寄付があったのですね。寄付をしてくれた人の善意もさることながら、寄付を引き出す努力をした人の熱意に感動します。 渡邊 忠嗣 氏
 (東京都港区)
2016.2.24
幕末の江戸に種痘が導入され根付いていった背景には、濱口梧陵という実業家の2度にわたる巨額の寄附があったことを知りました。これに関連し、「稲むらの火」の功績の詳細を知ることができました。 斎藤 治美 氏
 (神奈川県相模原市)
2016.2.24
鹿鳴館婦人のバザー いつの時代も政治、外交、文明、世相のからみあいですね。色鮮やかな珍しい錦絵も興味深く見ました。 入山 文郎 氏
 (東京都中央区)
2009.5.13
鹿鳴館で舞踏会の他にトップレディ達が慈善バザーを開いていたとは初耳です。出品物が、靴足袋、巾着、手布、扇子などとは時代を映していて面白いですね。また慈恵医大との関わりは、隠れた歴史の事績として興味深いです。 石黒 貴 氏
 (愛知県A市)
2009.5.12
これまでは鹿鳴館を欧化政策の舞台としか見ていませんでした。慈善事業の一面も持っていたという話に、なるほどなと納得しました。この慈善会図のような錦絵が発行されたのは、当時としてもそれだけ話題性が高かったのでしょうね。鹿鳴館といえば、洋装に束髪というイメージですが、この錦絵に描かれているご婦人がたは、まだ和服に日本髪というのが面白いですね。 畑 長年 氏
(名古屋市千種区)
2009.5.11
バザーという方式の慈善事業のための募金活動が、日本においてはこのような形でスタートしたことを初めて知り、勉強になりました。明治初期の上流夫人の社会奉仕活動が、鹿鳴館という最先端の社交の場においておこなわれたのは興味深いことです。 斎藤 治美 氏
 (神奈川県相模原市)

2009.5.11
華やかな鹿鳴館において、こうした催しがあったとは、いい話を聞かせてもらいました。 加納 正弘 氏
 (横浜市)

2009.5.11
今さまざまな形で行われている「バザー」の精神と取組みが、あの華やかな時代を背景に誕生したことを初めて知りました。なお、これが「婦人運動のさきがけ」という評価は注目を引くところと思いました。 伊藤 卓雄 氏
 (埼玉県所沢市)
2009.5.9
楠公銅像 楠公銅像に高村光雲が関与したことは知っていましたが、銅像の製作に記事のような経緯があることははじめて知りました。興味津々の裏話です。 末次  彬 氏
 (東京都江東区)
2010.6.17
戦前の時代、宮城前広場に行く際にこの像を観賞することが時々ありましたが、当時は像の建設由来等を知る由もありませんでした。今回お知らせにより、この銅像の由緒を読みましたので、これを念頭に、あらためてじっくりと見物したいと思っています。  尾崎 重毅 氏
 (神奈川県茅ヶ崎市)
2009.7.31
 
楠正成の銅像と住友家との関わりは、初めて聞く話で、たいへん面白く読みました。 松沢 研二 氏
 (東京都世田谷区。もと住友グループ某社役員)
2008.2.1
皇居前の「楠正成像」、高校の修学旅行の際に、あの前で撮ったスナップ写真があります。後ろに靡いた乗馬の尻尾の隙間に雀が営巣していたのを想い出しました。あの銅像が住友の献納によるものとは知りませんでした。説明文を読んで、当時の日本最高の芸術家たちが技能技術の粋を凝らして十年がかりで制作したことを知り、往時感じた精巧さになるほどと納得しました。 森 祥二郎 氏
 (東京都世田谷区。住友グループ某社OB)
2008.1.29
皇居前に立つ楠公銅像の話を興味深く読みました。丁寧な説明文により、百年以上も前の先人たちの努力を再認識でき、嬉しく思いました。岡倉覚三(天心)とその甥(秋水)や制作主任の高村光雲のことなど、今や歴史上の人物となった人々の業績を改めて再認識する機会にもなりました。 伊藤 卓雄 氏
 (埼玉県所沢市)
2008.1.7
たいへん興味深く読みました。あの銅像は、たいへんな努力を集めて作られたのですね。あの頃は、国民の各界各層が国家の発展のために尽くすことに共通の大きな価値を見いだしていた良き時代だったのだなあ、と感慨深かったです。 加藤 栄一 氏
 (東京都杉並区)
2008.1.6
裁断橋 出征の陣中で亡くなった我が子に対する母の深い悲しみや様々な思いを橋を架け人を渡すことで昇華したことに大変感銘を受けました。 青木 廣策 氏
 (横浜市、もと名古屋市民)
2018.3.5
かつて名古屋市に住み、名古屋で3年ほど仕事をしていました。その間市内をずいぶん歩き回ったつもりでしたが、裁断橋のことは知りませんでした。このHPで知りましたので、次の訪名の機会に寄ってみようかなと思います。  野島 康一 氏
 (もと名古屋市民)
2007.12.16
 
HP掲載の興味深い話に誘われて、小春日和の一日、裁断橋を訪れました。熱田神宮南門から歩いて10分程度の旧東海道沿いにあって元の3分の1に縮小されている橋は、中層ビルが周囲に建っているために、関心のない人はつい見過ごしてしまいそうな史跡です。
展示されている「旧裁断橋桁石」は、長年の風雨に耐えた実物の力強さがありました。
帰りに熱田さんの門前にある、うなぎの「ひつまぶし」で有名な店に寄ってきました。裁断橋のおかげです。
石黒 貴 氏
 (愛知県A市)
2007.11.10
興味ある事績ですね。次に熱田神宮にお詣りする際に、裁断橋を見に行くつもりです。 柴田 浩二 氏
 (愛知県豊田市)

2007.10.29
いい話を読みました。ありがとうございます。 伊藤 力行 氏
 (名古屋市天白区)
2007.10.26
裁断橋の話は地元の歴史愛好家の間ではかなり有名ですが、若者たちにはほとんど知られていないようです。このHPで取り上げられて興味を持ってくれる人が少しでも増えれば嬉しいかぎりです。 畑 長年 氏
 (名古屋市千種区)
2007.10.25
西洋医術発祥 私は約30数年前に大分市に出張した際、職場の先輩に市内を案内してもらいました。そのときに「アルメイダ」の名を冠する病院があることを知ったのですが、それが何を意味するのか判らず、以来ずっと気になっていました。このたびこの紹介記事を読んで初めてアルメイダが我が国に西洋医術をもたらした外科医だったことが分かり、長年の疑問が解け感動しています。わが国の西洋医術の発祥が天主教の布教に関わっていて、その地が当時の伝道の拠点であった大分だったのですね。 井 康行 氏
 (東京都世田谷区)
2014.11.10
記念像をなつかしく見ました。ご存じと思いますが、大分市医師会がアルメイダの名前を採って医師会病院を経営しています。  羽入 直方 氏
 (もと大分市民)
2007.9.10
 
西洋医術発祥とアルメイダの事績、興味深く読みました。 入山 文郎 氏
2007.9.7
アルメイダの事跡を読んで、宗教の偉大さと恐ろしさをあらためて感じています。 長尾 大 氏
2007.9.6
東大安田講堂 興味深く読みました。占拠、破損後の修復事業についても知りたいのですが、またの機会を待ちます。 加納 正弘 氏
2007.8.4

寄付の物語 目次  へ     

(180317更新)