公益のための寄付にかかわる 事績、逸話、記念物、人物などのお話 です。


西洋医術発祥


西洋医術発祥  いまから450年前の戦国時代末期、大友義鎮(宗麟)統治下の豊後府内(いまの大分市)に慈善病院が建てられ、西洋医術による治療が行われていたことをご存じだろうか。
 大分市の中心部、県庁近くの遊歩公園に「西洋医術発祥記念像」がある。この記念像は、わが国最初の西洋式病院を建て、西洋医術を実践した南蛮外科医アルメイダの事績を顕彰するために、1972年に株式会社マリーンパレス、社長上田保が寄贈したもので、古賀忠雄の制作に成る。像は、アルメイダが日本人助手とともに外科手術を始めようとしている姿をあらわしている。
 ルイス・デ・アルメイダ(1525〜1583)は、ポルトガル人で、リスボンに生まれた。医学を学び、1546年に外科医の免許を得た。インドに渡り貿易商人として活動したのち、1552(天文21)年に来日、豊後府内で布教を助けた。1556(弘治2)年にイエズス会に入り、修道士となった。私財4,000クルザドを寄進、それは生糸貿易に投資され、教会の財源となった。翌1557(弘治3)年、府内に教会の病院を開設し、自ら外科を担当、西洋の臨床外科医学を初めて日本に伝えた。内科は漢方を用い、外来患者のほか1562(永禄5)年には入院患者が100人を超え、その評判は京都や関東にも及んだという。病院の運営が確立したのち、アルメイダは教会長の命により、1561(永禄4)年以降は府内を出て、日本での伝道のために諸領主との交渉や島原、天草など各地での布教に従事した。1580(天正8)年、マカオで司祭に任じられ、天草地区長となり、信者から慕われつつ、天草の河内浦で1583(天正11)年に病没した。
 府内の病院は、天正年間に入ると、教会擁護者であった領主大友家の内紛や退勢もあって活動が衰え、やがて廃止されるに至った。
 当時、病院があった場所(いまの大分市顕徳町2丁目あたり)は、現在は住宅地となっていて、病院の跡を示すものは何もない。
 なお、大分市医師会館内のメモリアルホールに、当時の病院の縮尺模型、アルメイダ像、年表パネルなどが展示され、一般の観覧に供している。
               

川波 重郎

資料
  ☆ 佐藤裕「西洋医術発祥四五〇周年をひかえて」
        「日本醫事新報」第4272号(2006年3月11日)掲載
  ☆ 朝日日本歴史人物事典  朝日新聞社 (1994年11月30日発行)
  ☆ 日本キリスト教歴史大事典  教文館 (1988年2月20日発行)
  ☆ 平凡社大百科事典 1  平凡社 (1984年11月2日初版)
  ☆ 和辻哲郎「鎖国」 筑摩叢書22 筑摩書房(1964年5月25日初版)

寄付の物語 目次 に戻る  

(070905追加、090509再編)